PS Vitaの「Gravity Daze」今でもたまにその街へ訪れたくなるゲーム

生涯に渡って語りたいゲームはあるだろうか。

友だちの家にコントローラーを持ち寄ってやったゲームキューブのスマブラ。

コツコツ育ててレベル100にしたポケモン金銀。

学校が終わるとみんなで集まってやったモンハン2ndG。

街を走り回り強化アイテムを集めて倒しあうカービィのエアライド。

ビアンカとフローラのどちらかを永久に語れるドラクエ5。

みんなが身体を左右に揺らすのをお菓子食べながら眺めてたマリオカート。

RPGの面白さを初めて知ったペラペラな紙で世界が表現されるマリオストーリー。

授業中にずっと机の下でやっていたPSPのぷよぷよ。

兄弟二人で親から隠れて布団の中でやったロックマンエグゼ。

私は、まさにゲームがこれから盛り上がるという黄金期に青春時代を過ごしたと、後になって振り返って気づいた。

人生の節目節目で、友達とのコミュニケーションの間にゲームがいた。

ゲームは全ての要素が詰まっていると、今になって思う。

ストーリー、キャラクター、グラフィック、地図、音楽、声、そしてなによりゲームシステム。

これら全ての要素が掛け算となって、異世界を形作り、またその中の登場人物になりかわれる。

ゲームとは、総合芸術なのだ。

30年間生きてきて、おそらく100本以上ゲームをしてきたが、いまだにずっと私の中で第一位に輝くゲームがPS Vitaの「Gravity Daze」だ。

このゲームのテーマは”重力を操る”だ。

あらゆる方向を”下”と定義して、空に落ちるという体験ができる。

イギリスビッグベンのような高い煉瓦作りの塔、その壁に”立って歩く”ことができる。

橋の裏側に”逆さまに立つ”ことができる。

電車の”横に立って次の駅まで移動する”ことができる。

ちょっとでも気になった方はぜひコンセプトムービーを見てほしい。

販売から約5年前の開発初期からここまでコンセプトが出来ていたのかと感動するほどの出来だ。

ゲームの中でできる体験も、ほぼこのコンセプトムービーのままである。

ゲームをクリアした後も、ずっと街並みを飛び回って遊ぶくらいハマっていた。

その頃、ちょうどイタリアに行く機会があった。

このゲームにハマりすぎた私は、イタリアの街並みを見て「あそこに見える塔まで飛べそう」とか「あの建物の壁を歩きたい」とか思いながら、街を散策していた。

そしてその体験が、とてもワクワクして楽しかったのだ。

「いつもと同じつまらない景色が違ってみえる。」から始まる、とあるサラリーマンが書いたゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドのAmazonレビューがとてもゼルダ発売当初に話題になった。(Amazonで5万人以上が”参考になった”をつけているレビューを私は他に知らない)

その途中にこんな一節がある。

電車の窓から見えた名前も知らない山を見て、
「登れそう」と思った瞬間、涙が溢れて止まらなかった。

この感覚と同じものを、GravityDazeにハマった時に味わっていた。

本当に良いゲームは、現実の感覚をも書き換える力を持っている。

GravityDazeの舞台になっているのは”へキサヴィル”という名前の街だ。

ヘキサヴィルへ行き、壁を歩き、宙に浮き、空へ落ちるために、今もたまにVitaの電源をつける。


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こうちゃん

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